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子どもには無限の可能性がある、と言われた子どもの気持ち

こんにちは♪

いつも何気なく口をついて出やすいこの言葉。

「まだまだ真っ白な子どもには何にでもなれる、無限の可能性があるね」

無邪気で疲れ知らずに公園を駆け回る子どもたち。

それを、見つめる大人は追っかけるので精一杯ですよね〜

鬼ごっこをしても、追っかけるスピード調節して息を整える母

滑り台って大人になってから滑ると結構怖いです

キラキラな目で見つめられると滑らないわけにはいかないんですけど、

だだっ広い滑り台なんてほんと恐怖w

限りなくあるように感じる時間と(ご飯の準備したいんだけど)

なんだか、どこまでも走って行けそうな体力を見ていると

自分の残りの体力と時間がふとよぎり

ついつい心の底から、羨ましくなります。

年取ったなと感じる瞬間だわw

先日、夜間救急の人の少ない待合室で突然

中学生の息子がぼそっと言ったのです。

「あれって結構エグいよね」

息子いわくあの

「子どもは真白、頑張れば今から何にでもなれる無限の可能性がある」

という言葉は、時として子どもにプレッシャーを与えているというのです。

どんなに望んでも、どんなにチャレンジしても、そのためにたくさんの努力をしても

いくらやっても無限じゃなくて、確かに、叶わないこともあるのにね。

大人から見る子どもは眩しすぎて、限りない可能性を見つめて大人はつぶやく。

あの頃に気付いていたら、自分も違ったんじゃないか・・・

子どもに夢見ちゃうわけじゃないし、なりたいと言ってるものに押し付ける気もないけど

何気なく、口にしちゃいますよね

大好きなお母さん、お父さんの言葉に

子どもは期待に応えようと

その言葉を純粋に信じて、

もしくは報いようとして、

しらぬまに、ムリをしているかもしれません。

大人はついつい、期待して応援する気持ちが大きくなりすぎる。

暖かく見守るのは忍耐がいりますが、子どもがのびのびと羽ばたくには

程よく見守る、がとても大事なようです。

ゲームばかりやってるとWi-Fiの一つも切断したくなりますけどね!

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